生命とは「人々のために尽くす時間」を実践した崇拝の名医
高齢を感じさせず、世界各地に足を運び、少年少女達を前に「みなさん、自分の命って見た事がありますか?見えないよねー、命って言うのはねー、人々が幸福になるために使う時間の事なんだよ」と優しく語る姿は正に白衣の聖者そのものだった。100歳を過ぎても舞台の上で幼い子供達と楽しくダンスをし、平和と命の楽しさを教え続けた、日本が世界に誇れる医師であった。
105歳で逝かれるまで生涯現役を貫き、「あと10年は生きたかった・・・」と語りながら旅立たれたとご子息は語る・・・合掌
太平洋戦争末期の東京大空襲で、数え切れない火傷の重症患者を前に薬も包帯も無く、新聞紙を燃やした灰を患部に落として救おうとした無念を語り、戦争の悲惨さを伝えている。我国の平和憲法を守る意義を強く主張し続けて来た敬虔なクリスチャンの医師だった。
90歳を過ぎても病院の階段を2段づつ一足飛びで9階まで登り、入院患者のベッドの前に跪き視線を同じにして、生きている意義を語り心の交流を生涯続けて来た、患者にとって苦しみから解放される時間だった。休日になると丘の前の椅子に身を委ね、丘の向うから浮いて来る白い浮き雲を見、生きている時間を丘の稜線までとし、瞑想にふける時間を過ごしていた。
生きようとする患者、死していく人を数多く目にし、師の胸に去来する光景をこの丘をキャンパスとして描いていたのであろう。
私が最も好きな言葉は日野原先生が実践した「生涯現役」である。師の膝元にも及ばない浅学な私だが、77歳を過ぎた私は「一日一生」を肝に銘じ、やりの残した仕事が無い一日である様心掛けて時間を大切に使っている。今から30年ほど前に聖路加病院新棟建築に参加した折り、日野原教授の生き方を学んだ事がその後の私の人生に大きく影響している。
私は医師ではないから人々の病気を治す事は出来ない、但し温暖化により病める地球を多少なり治癒するための処方は持って活動している。無責任な人類が倒し続けて来た森林と、果てしない欲望を満たすために歯止めなく使い続けて来た、化石資源依存症への治療である。余命幾許もない地球生命である事は、荒れ狂う世界の気象が訴えている、にも関わらず、浅学な政治家諸兄が障害となり私を悩ませている。
私の住む町に佐久総合病院がある。昭和19年農村医学としてこの地に誕生したが、今では200名に近い医師が活躍する世界でも冠たる病院に成長した。創始者の一人に若月後一医師が居た。医術もさることながら農民との語らい、健康への食生活、農民運動を考案し長期に渡り健康である体の基礎作りを指導していた。現在男女共長野県民の寿命が我が国のトップにランクされているのは、若月さんのおかげと語る人々は多い。名医とは高い医術をベースに哲学者の分野に達し、患者に手を触れるだけで苦しみから解放させてくれる医師を指す。
日野原・若月両医師の共通点は大空襲による数え切れない負傷者を手の施しようもなく看取った事による、戦争への憎悪である。若月医師の場合反戦活動により、軍部から東京より追放されている。(レッドパージ)
そんな哲学、聖者の世界とは180度変わるが、安倍政権5年間の実績とは何だったんだろうか、私の記憶に残るのは秘密保護法、安保関連法、共謀罪法即ち戦争に繫がる法案の強行採決の光景のみである。
格差社会の傷口は広がる一方で、貧困のため病院に行けない人々は学童家庭の16%に達している、年金では日常生活すら出来ない貧しい高齢者は増え続けている。日野原・若月両医師の教えとはあまりにヒューマニズムに欠ける権力政治が行われている。あと10年生きたかった・・・日野原医師の意欲は戦争に近ずく政治への懸念のためだったのではとも推測できる。両医師の唱える生命論から評価すると安倍総理、トランプ大統領、プーチン大統領、アサド大統領、北朝鮮の金主恩等身勝手な指導者達は生命を持っていない新人類なのかも知れない。